1ミリの後悔もない、はずがない

「私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかった全てが入っている。」

 

椎名林檎 様のお言葉。

実のところ、書店でこの言葉を見なければ

手には取っていなかった

どころか、

目にも止まっていなかったかもしれない小説、

 

「1ミリの後悔もない、はずがない」

 

"椎名林檎 "の文字が目に入って、

その後ろには「書店員私物」と書かれた

試し読み用の本。

試し用は読まずに、その本はレジに持って行った。

そのコーナーに注がれた熱量だけで十分。

 

読み終わって、ああ、と声が出た。

小説を読むときはいつもそのセカイに入り込むから、

終わったときに寂しいというか、

その物語の人物、空間との

"別れ"みたいなものを感じる。

ーー 本を開けばいつでも会えるのだけど。

 

本を開いている間は現実の自分を取り巻く人、時間、物事をすべて忘れ去るから、

もし同じ場に愛する人が居たとしても

置き去りにしてしまうと思う。

聞こえなく、見えなくなる。

否、聞きたくないし、見たくない。

つくづく"本を読む"という行為はある意味残酷だな。

 

ともかく、

今回もこのセカイに"行っていた"わけだけど、

この本を読み終わった瞬間は寂しいよりも、

なんというか、

「幸せであってね」という気持ち。

実在はしないし、この先の未来など

作者が書かなければ存在しない、架空の人物なのに。

それでも、

幸せであることを願わずにいられなかった。

 

この小説は

一人の主人公「由井」を軸に展開される短編集。

形としてはよくあるものだけど、

そのひとつひとつが美しい。

 

その話は全部、

官能的で何処となく暗く切ない結末を迎えるが、

どこかに希望の光がある。

(無意識にそう願っているだけかもしれないけど)

とにかくただ暗いバッドエンド

というわけではないし、

ある種のハッピーエンドにも見える。

 

女性目線で書かれた、

女性の心に刺さるような作品だと思う。

物事の捉え方が女性的というのか。

 

何よりもイメージ描写が秀逸。

男子の喉仏を見て

「妙にでっぱって色っぽかった」

「歌うとき、笑うとき、つばを飲み込むとき、そのでっぱりは、コリ、コリと上下に動いた」

だとか、鮮明に想像できてドキドキするような。

 

この描写は主に

主人公の「由井」から表現されるものなんだけど、

観察眼が鋭く、細かい。

自分の感情すらも観察の対象になっている辺りは

少し共感した。

 

感受性は豊かだけど、

全てにおいて一歩引いて、客観的に物事を見る。

周りの人間関係だとかにはあまり興味がなく、

自分のセカイの出来事。

 

だから"後悔"が多い。

あの時ああすれば、こうやって言ってれば、が多い。

そしてどこかで、"強く求めても手に入らないものがある"ことを理解している。

書いててつらくなるほど、

自分にも当てはまってしまう。

 

「由井」は

静かに、人生に絶望していたように感じる。

 

「由井」ほど、

諦めることの多い人生ではなかったけど、

それでも共感してしまう。

 

「由井」が大人になるまでに諦めることが多かった。

周りの人物も諦めることが多かった。

 

物語の始まりは

彼ら彼女らが10代の頃から始まるけれど、

その時に想像していたような未来は、

結局誰にも訪れていない。

 

10代の時の想像に比べたら、

つらくて、汚くて、どうしようもない日々を過ごす。

でもきっと、その中にも"幸せ"があって、

それが見えるようになることを

"大人になること"というのだと思う。

 

"諦め"ではなく断捨離のようなものかもしれない。

大人になるために必要なものを持って、成長していく。

 

最後の1ページ。

なんだろう、浮遊感というか、全てだったというか…

このページを読むために

この本を手に取ったのかもしれない。

 

ただ暗いだけの話ではない、と言ったのも、

話のそこかしこに小さな幸せが見えるから。

子供の脳や知識じゃ想像できなかった

だけなんだなと。

 

小さくて小さくて、だけど絶対的で自分だけの幸せ。

 

物語の終わりは

単純にきれいなハッピーエンドではないから、

むしろそれが希望であり、真実に思える。

人生にハッピーエンドなどなかなか訪れない、

というより

まだ"エンド"ではないから。

これからも人生はずっとずっと続いていく。

だから登場人物の幸せを願わずにいられなかったのかもしれない。

 

これからもどうしようもない日々が続くけど、

どんなに小さくても、

なるべくたくさんの幸せが訪れますように

 

と。

 

 

決して明るい話というわけではない。

だけど、読了後はどこか心が晴れる。

 

文中に"女性的"と書いたけど、なにかの記事で

"男性は元カノ成分でできている""女性は今カレを上書きする"

といったようなものを見たことがある。

「由井」はずっと"今"と"少し先の未来"を見ていたし、それに共感した。

 

私がこれまで付き合ってきた人の中には

もう名前も思い出せない人もいる。

人数が多いから、とかではなく

それほどに今を生きるのに必死で、

思い出す暇などないんだ。

私を構成するものの一部になっているのかもしれないけど、そんなのどうでもいい。

過去は過去でしかない。

だから今を見続ける「由井」を応援したくなったのかもしれない。

 

けれど、男性が読むとどんな風に受け取るのか、少し冷たいなんて感じるのか。

 

ちょっとだけ気になるような、気にならないような。